「ライオンとペリカン」が問いかける、孤独と愛の物語:井上陽水80年代サウンドの深奥へ

邦楽

フォークを捨てた天才がニューウェーブで到達した境地

私たちが生きるこの世界には、口では説明できないのに、なぜか胸を打つ音楽が存在します。

なぜでしょう。

あるメロディを聴いた途端、一瞬で遠い過去の情景や、まだ見ぬ未来の感情に連れ去られてしまうような、不思議な体験をしたことはありませんか。

今回、私たちはそんな「時を超える力」を宿したアルバムを、掘り下げてみたいと思います。それは1982年12月5日にリリースされた、井上陽水さんの10枚目のオリジナルアルバム『LION & PELICAN』(ライオンとペリカン)です。

このアルバムは、井上陽水というアーティストがフォークシンガーという枠を軽々と飛び越え、時代の最先端のサウンドを取り込みながら、その独特の詩世界を完成させた最高傑作の一つです。

聴く人によって解釈が何通りにも分かれる、謎めいた言葉たち。 クールでありながら、底知れない熱と官能を秘めたサウンド。

この濃密で、それでいて風のように捉えどころのない音楽は、一体どのようにして生まれたのでしょうか。その謎を紐解く旅に出る準備はよろしいでしょうか。

🎧 井上陽水『LION & PELICAN』が持つ「時を超える力」

井上陽水さんの音楽には、理屈では語れない聴き手を深い海に引きずり込むような魅力があります。意味不明な歌詞のようで、なぜか聞く人の心に鮮やかな情景を浮かび上がらせるのです。

『LION & PELICAN』は、陽水さんのキャリアの中でも創造性が爆発した時期の作品です。それは彼が70年代に築き上げた「フォークの巨人」というイメージから「時代を乗りこなすサーファー」へと変貌を遂げた、まさに「転換期」の到達点なのです。

70年代の陽水さんは、『氷の世界』に代表される内省的で叙情的なフォークの世界で日本初のミリオンセラーを記録しました。しかし80年代に入ると、新しい領域へと大胆に踏み出します。

その鍵となったのが、1981年の前作『あやしい夜をまって』から顕著になったニューウェーブ色です。この時期から陽水さんはフォークの概念を大きく超え、ロックやニューウェーブといった時代の最先端の音に接近していったのでした。

このサウンド面の冒険を強力に支えたのが、共同クリエイターとして参加した川島裕二さん(BANANA)です。川島さんは京都発のニューウェーブバンドEP-4のメンバーであり、非常に前衛的なセンスを持っていました。

『LION & PELICAN』では、川島裕二さんが10曲中4曲の編曲を担当しています。彼のシンセサイザーを中心としたアレンジは、後のアルバム『バレリーナ』でさらに本格化しますが、本作は陽水ワールドテクノサウンドが絶妙に絡み合い、より高度なものへと消化していく過程にある作品なのです。

このアルバムの魅力は、その「掴みどころのなさ」にあるとも言えます。ユーモラスでありながら不条理な言葉たち、哲学的とも意味不明とも取れる深遠な世界観。これを「いい意味での出鱈目感」と評する人もいます。

この時期の陽水さんは軽さや優雅さの中に、アダルトで官能的なムードを漂わせることに成功しました。男女の親密な関係を描いた「背中まで45分」など、とてつもなくエロティックです。

この作品の成功は陽水さんの「変態性」、つまり他のミュージシャンにはない特異な創造性が新しい音楽性と共に成熟し、その神髄を極めたからだと言えるでしょう。川島さんの無機質な打ち込みサウンドと陽水さんの予測不能な詩世界が、見事に化学反応を起こしたのです。

📖 『LION & PELICAN』誕生の物語と隠された音の秘密

『LION & PELICAN』の誕生には、80年代初頭という時代の空気と陽水さん自身の創作の進化が深く関わっています。

このアルバムは1982年に発表されました。日本は高度経済成長期が終わり、物質的な豊かさに満たされ始めたものの、どこか満たされない倦怠感が漂っていた時代です。

陽水さんはそうした時代背景を背負いながら、フォークで培った内省的な感覚と、都会的な新しいサウンドを見事に融合させました。彼の音楽はしばしば、「都会的」「洗練された」「おしゃれ」といった言葉で形容されます。

このアルバムのサウンドプロダクションの根幹をなすのが、複数の実力派アレンジャーによる競演です。

中心を担うのは、前述の川島裕二さんです。彼は「チャイニーズフード」「愛されてばかりいると」「カナリア」「背中まで45分」の4曲を手がけました。

川島さんの編曲は、シンセサイザーやリズムボックスによる無機質でチープな打ち込みサウンドが特徴です。これは当時のYMO的、あるいはニューウェーブ的なアプローチであり、陽水さんのシュールな歌詞世界を、感情から切り離された冷たい音で包み込む効果を生みました。

陽水さんの初期からの盟友である星勝さんは、「とまどうペリカン」「リバーサイドホテル」というこのアルバムの二大名曲を担当しています。
星勝さんは緻密な譜面で演奏家たちを導き、ロック的な躍動感歌謡曲的な美しさを両立させることに長けた人です。

後藤次利さんは「約束は0時」と「ワカンナイ」の2曲、伊藤銀次さんは「ラヴ ショック ナイト」、中西康晴さんは「お願いはひとつ」を担当しました。

後藤次利さんが手がけた曲は、ベーシストらしい重厚感のある低音が聴きどころとなっており、川島さんのシンセポップとは異なるエレクトリックなフレーバーを醸し出しています。

これだけ多様なアレンジャーが参加しながら、アルバム全体に統一感があるのは驚くべきことです。これはそれぞれの編曲家が、陽水さんの「前衛的でアバンギャルドな世界観」という共通のフィルターを通して音作りを行った結果でしょう。

このアルバムを感情への作用という視点から見ると、「浮遊感」と「緊迫感」の二面性が挙げられます。

例えば、アルバム冒頭を飾る「とまどうペリカン」は壮大で美しいバラードでありながら、歌詞にはライオンとペリカンの不安定で非対称な関係が描かれ、聴く者に切なさと緊張感を抱かせます。

「愛されてばかりいると」や「チャイニーズフード」に代表される川島アレンジの楽曲は、チープな電子音の中に遊び心を感じさせつつも、「夜のどこか」や「夜の長さを何度も味わえる」といった妖しげな情景が描かれることで、聴く人の心に官能と危うさを呼び起こすのです。

まさに『LION & PELICAN』は、「大人の感性、そして官能を深いところで刺激するエモーショナルなサウンドアート」として、今なお多くの人を魅了し続けているのです。

🎤 プロフェッショナルが見つめた『LION & PELICAN』の核心

『LION & PELICAN』は発表当時から、関わった多くのプロフェッショナルたちに強烈な印象を与えてきました。彼らの言葉を辿ることで、作品の持つ深みや陽水さんの創作の核心に触れることができます。

まず長年、陽水さんのサウンド面を支え特に70年代の功績が大きい星勝さんの存在は欠かせません。彼は「とまどうペリカン」や大ヒット曲「リバーサイドホテル」の編曲を担当しました。
星勝さんの編曲の緻密さ純粋なロックアレンジャーとして、革新的だったと言われています。陽水さんの初期の作品『断絶』の制作においては、ほとんどの楽器の譜面を緻密に書き込んだそうです。
こうした確かな技術の裏付けがあったからこそ、「リバーサイドホテル」のようにミニマルながら不穏な傑作が生まれたのでしょう。

次に、80年代のサウンドを決定づけた川島裕二さん(BANANA)についてです。川島さんは井上陽水さんの独特な歌詞世界を、シンセサイザーを用いた音の宇宙で絶妙にフォローしています。
彼はニューウェーブという前衛的な要素を、陽水さんの音楽に持ち込みました。
川島さんのアレンジは陽水さんの「ユーモアと不条理な言葉たち」を「より高度なものへと消化」させ、「その到達点が『LION & PELICAN』だ」とまで言われています。
この化学反応こそが、アルバムを時代を象徴する名盤に押し上げた理由なのです。

ラップ・ミュージシャンでDJのやけのはらさんは、陽水さんの作詞能力について、次のように語っています。

「凡人が100年かかっても思い付けない表現だ」

特に「リバーサイドホテル」の「部屋のドアは金属のメタルで」という歌詞を挙げ、「どういう意味なんだろう」と疑問を投げかけています。
陽水さんの詞は、意味よりも母音や言葉の組み合わせで気持ちの良い言葉をはめていく部分があるため、抽象性は高くなります。しかし単なる抽象表現ではなく、全体を通すと「何かを歌っている感じがする」という、微妙なさじ加減が人々を惹きつけると言うのです。

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デビュー50周年を目前にしての新境地

まさにその瞬間、アルバムを聴き返す聴者の心の中には、言葉の隙間から立ち上る説明のつかない切なさがじんわりと広がっていくのです。それは意味を探そうと立ち止まるのではなく、音楽の引力にただ身を任せることによって見えてくる、陽水ワールドの真の魅力でしょう。

陽水さん自身もこのアルバムに収録された「とまどうペリカン」について、「うっかりするとそういうところに該当するのかも知れないな、なんてぼんやり思ってますよね」と、自賛に近い評価をしています。彼の言葉はこの曲が、自身のキャリアにおいても非常に重要な位置を占めていることを示しています。

プロフェッショナルたちから見ても、『LION & PELICAN』は単なるポップアルバムではなく、時代の音と個人の「業(ごう)」とがぶつかり合った濃密な芸術作品なのがわかります。

✨ 聴き比べる至福の瞬間

『LION & PELICAN』の収録曲の多くは時代を超えて歌い継がれ、様々なアレンジで再録音されたりライブで披露されたりしています。同じ曲でも、編曲や演奏が変わるだけで全く違う表情を見せるのが、井上陽水さんの楽曲の奥深さなのですね。

ここでは特に芸術的価値の高い3曲をの客観的かつ感情的な魅力から比較してみたいと思います。

「とまどうペリカン」:オリジナル版とセルフカバー版

アルバムのオープニングを飾る「とまどうペリカン」は、ピアノを前面に押し出した壮大なバラードです。オリジナル版(編曲:星勝)は美しい旋律と壮大な映画のエンディングを思わせる劇場的な雰囲気が魅力です。

一方で陽水さんは、2009年のセルフカバーアルバム『ガイドのいない夜』でこの曲をリメイクしています。

このリメイク版について、オリジナル版の「神秘的な世界」がより増幅されていると感じるため、原曲の方が好きだという意見もあります。

聴く人によっては、オリジナル版の持つ「古びた」アレンジが気になるかもしれません。しかし、あのノスタルジックな下降するピアノフレーズと不安定な男女の関係(ライオンとペリカン)を描いた歌詞が持つ切実な感情は、オリジナル版の緊張感の中にこそ、より鮮明に伝わってくるのかもしれません。

「リバーサイドホテル」:オリジナル版とライブ版

「リバーサイドホテル」は、後にドラマ主題歌として大ヒットした井上陽水さんの代表曲の一つです。

オリジナル版(編曲:星勝)は全体的に削ぎ落とされたミニマルなサウンドと、不穏なリズムパターンが特徴です。特にギターの単調ながら耳に残るリフ、そして「金属のメタル」「夜明けが明けた時」といった言葉の重複がもたらすアブノーマルな感覚は、オリジナル版の方がより強く感じられます。

これに対しライブバージョンは、ロック的な勢いとグルーヴを持ち合わせています。

ライブの場で聴く「リバーサイドホテル」は、オリジナル版の持つ静かな狂気力強い躍動感が加わり、聴く者を熱狂的な高揚感で包み込むのです。
静寂の中に潜む怪しさを味わうならオリジナル、感情の奔流に身を任せるならライブ版、そういう聴き分けも楽しいかもしれません。

「背中まで45分」:井上陽水版と沢田研二提供版

「背中まで45分」は、沢田研二さん(ジュリー)に提供された曲のセルフカバーです。この曲は出会いから一夜を共にするまでの「45分間の時間経過」を叙事的に描く、非常に艶っぽい歌詞が特徴です。

沢田研二さんのバージョンは、ジュリーの持つセクシーさと相まって官能的な世界観を表現しています。

一方、井上陽水さんのセルフカバー版(編曲:川島裕二)はムードに満ちたミディアムテンポで、シンセサイザーを主体とした幻想的なアレンジが光っています。沢田研二さんのバージョンも素晴らしいものの、陽水さんの歌声の方が更に一層、艶っぽいと感じる人もいます。陽水版は気だるさを感じさせるメロディ幻想的な音が、この一夜の物語に深い奥行きを与えているのです。

曲が持つ「時間の進行を綴る」という画期的な発想は、どちらのバージョンで聴いても聴き手の想像力を刺激することでしょう。

🔗 『LION & PELICAN』と繋がる「類似の芸術作品」を探して

井上陽水さんの詩世界はしばしば「文学的」であり、「シュールレアリスム」の要素を帯びています。彼の音楽は単に音としてだけでなく、他の芸術ジャンルとも深く共鳴し合っているのです。
『LION & PELICAN』は当時の時代性を反映しつつ、文学や絵画にも通じるような、奇妙で美しい世界を内包しています。

ここではこのアルバムの情感や構造と響き合う、三つの類似の芸術作品を見ていきましょう。

文学:宮沢賢治の『雨ニモマケズ』と『ワカンナイ』

『LION & PELICAN』に収録されている「ワカンナイ」(編曲:後藤次利)は、宮沢賢治の有名な詩『雨ニモマケズ』に対するアンサーソングとして知られています。

賢治の詩は質素で勤勉、穏やかで強いという、理想的な生き方を日本人に示唆してきました。しかし陽水さんは、高度経済成長期が終わり消費主義的な社会が到来した80年代において、「パンとミルクだけ」で本当に暮らせるのか、「貧しい子供を助け、未来を心配するなと言えるのか」と、その理想をシニカルに問い直します。

陽水さんの「ワカンナイ」という言葉は、賢治の「デクノボー」のような生き方を選ぶことができない、物質主義的な世界を生きる自身の姿を嘆くテレ隠しのようにも解釈されています。

この曲と『雨ニモマケズ』の繋がりは、単なる引用ではありません。それは「清貧」という旧世代の価値観と、「豊かさの中の孤独」という新時代の現実との間の断絶、葛藤する対話なのですね。

絵画:ジョルジョ・デ・キリコ(デ・リリコ)の形而上絵画

井上陽水さんの歌詞はしばしば、「シュールレアリスム」のようだと言われます。特にイタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品群に連なる「形而上絵画」を思わせるという意見があります。

デ・キリコの絵画は、広場にマネキンやガラクタが散らばっているなど、「全く意味がわからない」よう感じられます。しかし、その曖昧な情景描写は見る人の「心」を呼び覚ます何かを持っています。

「リバーサイドホテル」の「誰も知らない夜明けが明けた時」「部屋のドアは金属のメタルで」といった言葉の重複は、キリコの描く不条理な情景と非常に似ています。
陽水さんの詞も、個々の言葉は非連続的で論理的な物語としては成立しないのに、聴き手の心には妙にリアルな「場所」や「ムード」が立ち現れるのです。これは意味を超えた大きな説得力であり、デ・キリコや他のシュールレアリストたちが目指した芸術の姿と共鳴しています。

音楽:EP-4などニューウェーブ・バンドの電子音楽

『LION & PELICAN』のサウンド、特に川島裕二さんによる編曲は、当時の日本のニューウェーブシーンと密接に繋がっています。川島さんが参加していたEP-4は非常に前衛的なバンドでした。

アルバムに収録された「チャイニーズフード」や「愛されてばかりいると」は、YMOを意識したテクノポップ的なアプローチが強く、電子音と打ち込みによって無機質な(非人間的な)リズムが創り出されています。

このサウンドは人間的な情熱や感情とは一線を画した、冷徹な機械的な世界観を表現しています。そこに陽水さんの艶のあるボーカルが乗ることで、都会の孤独や危うさが逆説的に強調されるのです。これは70年代のフォーク的な叙情性とは対極にある、80年代という機械文明の時代の空気を色濃く映し出した、挑戦的な試みだったと言えるでしょう。

🕊️ 不朽のメロディを未来へ:私たちに残された「変わらない価値」

井上陽水さんのアルバム『LION & PELICAN』の旅を終えるにあたり、この作品が今もなお、そしてこれからも聴き継がれていく「変わらない価値」について考えてみたいと思います。

アルバムは官能的な大人の世界シニカルで孤独な時代の空気を、見事一つのパッケージに収めました。それは陽水さんの類稀なセンスと、時代を先鋭的に捉える音楽的冒険の結晶です。

この音楽が持つ最大の魅力は、「余白」の力にあると言えるでしょう。陽水さんの歌詞はあえて主語や文脈を曖昧にすることで、聴く人それぞれの個人的な体験妄想を投影できる空間を残しています。

文学研究者のロバート・キャンベルさんは、井上陽水さんの歌詞の「余白」について「答えを出さないのではなく、答えはあるんだけど、一つではないということなんです」と語っています。
「余白を作るというのは、人に埋めさせる(ことを求める)」ものであり、「覚悟が必要なこと」なのだとも指摘します。

私たちはこの『LION & PELICAN』を聴くたびに、曖昧さの中に存在する真実と向き合うことを求められます。

そしてその真実は、「強さ」と「弱さ」の非対称性の中にあります。表題曲「とまどうペリカン」のライオンがたて髪を揺らしながらも「闇におびえて」いるように、強くあろうとする人間が抱える不安定さ孤独を、陽水さんは静かに肯定しているのです。

彼の音楽が未来へ繋ぐメッセージとは、もしかしたら「苦楽(くらく)」という言葉に集約されるのかもしれません。楽しいことだけでなく、苦しいこと、やるせない感情も、すべてが人生の一部として繋がっているという日本的な幸福観
陽水さんは、優しさをストレートな言葉で表現することはしません。そのシニカルな表現の先に、たわいもないことを大切に生きる私たちを、確かに肯定しているのです。

『LION & PELICAN』は過去の時代の音源でありながら、現代の私たちが抱える不確かで不器用な関係性を、驚くほどリアルに映し出します。どうぞこれからもこのメロディに耳を傾け、あなた自身の「ライオンとペリカン」の物語を、見つけ続けていただきたいと思います。

それがこの音楽が私たちに残してくれた、時代を超えた変わらない価値なのです。

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